東京五輪の功罪(スペース・マガジン10月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


   [愚想管見]   東京五輪の功罪    西中眞二郎

 
 2020年オリンピックの東京開催が決まった。関係者の方々のご苦労に対し、まずは、おめでとうと申し上げておこう。しかし、手放しで歓迎する気持にもなれない。
 まず、我が国の均衡ある発展という観点からの疑問である。最近の国勢調査などによれば、都道府県別に見た人口の伸びは、東京都、神奈川県が1、2位を占め、地方別に見れば関東地方が頭抜けた存在になっている。7年先を見越しても、我が国全体としての人口の減少と、首都圏の人口増大という流れに間違いはないだろうし、東京オリンピックの開催は、こういった首都圏への一極集中という傾向に拍車を掛けるものとなるだろう。オリンピックの東京誘致に際して、我が国の国土のバランスという観点からの掘り下げた検討がされたということは、ほとんど耳に入って来ないが、本当にこれで良いのか。
 7年先のことだから判らないことも多いが、国民感情の動向も気になるところである。オリンピックの開催は、「国威発揚」や「挙国一致」といった気持と繋がりやすく、ナショナリズムを駆り立てる要素となり得る。特に、安倍総理、猪瀬都知事等のリーダーは、国粋主義的な発想の強い人のように見受けられる。これらのリーダーが、気持を高揚させ、自信を付けて施策に当たり、国民感情がこれに安易に追随するということになれば、対外関係にも無用の摩擦が生じ、我が国にとって好ましくない結果を生む可能性も無視できないだろう。現に、現在においてすら「オールジャパンの努力の成果」といった表現を目にするところであり、感動、情熱、希望、夢といった前向きな言葉が乱れ飛んでいる。こういったムードが蔓延し、謙虚さを失って、批判的な言動などが封殺される社会になれば、それが最大の弊害なのかも知れない。
 今回の投票結果の最大の理由は、さまざまな意味での東京の安定性ということだったと思う。トルコの政情不安、スペインの経済不安等、ライバルはいずれも大きな問題点を抱えており、比較的無難な東京に票が集まったということだろう。1964年の東京オリンピックは、我が国がまさに新興国としての意気に燃えているときだった。その時に比べて、国際的な意義付けは全く変わっているが、「敵失」に救われたという面も大きいだろう。
 我が国にとっての問題点として指摘されていた福島の原発事故についての懸念がクリアーされたのは良いとしても、安倍総理のプレゼンテーションは歯切れが良過ぎたのではないか。これでは、震災からの復興はめでたく完了し、原発事故やその後遺症も終結したかのように聞こえるが、事態は決してそのようなものではない。恰好良いリップサービスが今後に禍根を残さないかどうか、気になるところではある。
 いろいろ気になるところも多い話ではあるが、東京オリンピックの開催が国民に希望を与えることは事実だろうし、国民経済にとって、プラスの効果をもたらすことも間違いあるまい。私とて、オリンピックがはじまれば、素朴なナショナリストになって、歓声をあげるに違いあるまい。それだけに、その熱に浮かされないようにという自戒の念も抱きつつ、これからの7年間の関係者の謙虚さと叡智を期待しているところだ。(スペース・マガジン10月号所収)