手紙と返事(スペース・マガジン)

例によって、スペース・マガジンからの転載である。


[愚想管見] 手紙と返事                   西中眞二郎

 先日テレビを見ていたら、ある番組で石川啄木の書簡に百万円を遥かに超える値段が付けられていた。その書簡の史料的価値等にもよるのだろうが、結構な値段に驚いた。考えてみれば、直筆の書簡だからこれだけの値段が付くので、もし啄木さんが現在の人で、パソコンで打った手紙を知人に送ったり、あるいはメールを送ったりしていたら、一体値段は付くのだろうか。
 私自身を振り返ってみても、直筆で手紙を書くケースは随分減り、ほとんどがパソコン打ちかメールになってしまっている。私の手紙に将来値段が付くことはよもやあるまいが、みすみす将来の資産価値を減少させている人も多いのかも知れない。
 手紙を貰えば返事を書くのが礼儀だろうが、ついつい煩わしくて失礼してしまうこともある。私自身の話になるが、ある程度の年齢になってから若い職員に良く言っていたことの一つは、「部外の人から手紙やメールが来たら、必ず返事をするように。その人が当方に好意的なのであれば、その好感度を更に高めるチャンスだし、そうでない場合でも、当方の誠意を示すことは決して悪いことではない。」ということだった。内容によっては私自身が返事を書いたこともあるし、それに対して先方からあらためて御丁寧な礼状まで頂き、私から更に礼状を書いたことも何度かある。
 ところで、ここ2年ほどの間に2冊の本を刊行し、多くの知人や関係者にお送りしたのだが、礼状を下さらない方も多い。特に、国会議員、知事、社長、次官・局長等を務めているいわゆる「偉い人」ほどその傾向があるようだ。私の不徳の致すところと言ってしまえばそれまでだが、どうもそれだけでもなさそうである。「偉い人」ほど忙しいのだろうとは思うし、また、著書等の贈呈を受けることも多いだろうから、やむを得ない面があるとも思うが、大臣・社長クラスの方で、必ず礼状を下さる方も中にはいる。そのような方に対する私の人格的評価は当然高いものになる。
 もう一つ返事や礼状のないグループが、新聞社、政党、官庁の類である。これまで新聞社に著書を贈呈して、礼状を貰った経験は皆無である。また、政党や官庁に政策提言の手紙等を出して受取状を貰った経験も、これまた皆無に近い。提言したからといってそれが実行されると考えるほど甘くはないが、通り一遍のもので良いから「貴重な御提言ありがとうございました」という葉書でも来れば、少なくとも誰かの目に留まったのだなという充足感にもつながる。葉書一枚で、その政党や官庁に対するこちらの好感度は随分増して来るのだと思うが、どうも政党や官庁はそのことにお気付きではないようである。その点、民間企業は、内容は別として、概してスピーディーな反応があり、「さすが民間」と評価できる場合が多い。
 「返事の有無」という物差しで見ると、偉い人、新聞社、政党、官庁―――ここらあたりが、無神経かつ傲慢の旗頭のような気がしないでもない。官庁の中での例外は、国立国会図書館である。著書を贈呈すると、至って事務的なものではあるが必ず受取りの礼状が来る。さすが図書館の総本山だけのことはあって、○○省図書館や○○区立図書館より遥かに礼儀を心得ているという気がする。

<スペース・マガジン10月号所載>