叙勲の弁

 今年の春の叙勲で、瑞宝小綬章を頂くことになった。ご存じの方も多いと思うが、現在の生存者叙勲は70歳以上が原則であり、ある意味では70歳になった通過儀礼のような気がしないでもない。お年寄りが受けるものだと思っていたのに、いつのまにか自分がその年齢になったことに、いささかの感慨がないわけでもない。このブログで御披露する話ではないような気もするのだが、何しろ一生に一度のことだから、むしろ書かない方が不自然かなとも思い、あえてキーに向かったところだ。

 
 何しろはじめての経験なので判らないことばかりなのだが、50名近い方から、祝電やお便りを頂いた。ありがたい話ではあり、早速以下のようなお礼状をお出しした。これまで叙勲を受けた方々に祝電を打った記憶はほとんどないので、過去の自分への反省の気持も含めてのお礼状である。


 ―――――――若葉の爽やかな季節となりましたが、お元気で御活躍の御様子、何よりのこととお慶び申し上げます。
 このたびは、私の瑞宝小綬章受章に際し御丁寧な祝電を頂戴し、まことにありがとうございました。あまり自慢できるようなランクのものでもなく、いたずらに馬齢を重ねた証しのような気がしないでもありませんが、お心にお留め頂きましたこと何よりもありがたく、厚く御礼申し上げます。
 小人閑居してさしたる不善もなさず、無為徒食の日々を送っておりますが、今後とも、家内ともども充実した毎日を過ごして参りたいと存じております。
 末筆ながら、皆々様のますますの御健勝と御発展をお祈り申し上げまして、御礼の御挨拶に代えさせて頂きます。―――――――


 我れながら歯切れの悪いお礼状だという気がしないでもないし、「ランク」に不満があるように取れなくもないと思うが、実は、正直に言って、そのような気持がないわけではない。以前は勲章には勲○等というランクが付いており、それが旭日章瑞宝章とに分かれていた。功績にランクを付けるのはおかしいという議論もあって、序列の数字が外れたのは数年前のことだが、呼び名が変わっただけで、序列があることに変りはない。公務員の場合、従来はランクに応じ旭日章瑞宝章のいずれかを受けていたのだが、その改正の際、公務員の頂く勲章は瑞宝章に統一された。気分的には半ランク下がったような気がしないでもない。また、ランク分けも従来より少なくなったので、私の頂いた瑞宝小綬章は、その対象が随分広くなった。本省勤務の公務員の場合、局長に準ずるクラスから課長クラスまでを網羅しており、在職中に私と同格だった人から、かなり下のランクだった人まで同じ勲章を受けることになっている。
 また、在職中の実質的な貢献度とは全く無関係に、専ら在職中のポストの格と、その格に在職した年限との掛け算で勲章のランクが決まるルールになっている。このため、定年まで勤めるのが通常である司法関係の人や大学教授のランクは比較的高い。行政官の場合をとってみると、同じようなポストに就いていた人でも、比較的若い時期に退官した人と、かなり遅れて(場合によっては定年間近になって)そのポストに就いた人とでは、後者の方が掛け算の年限が大きくなるので、高いランクの勲章を受ける可能性が高い。なお、退官後の経歴は基本的には考慮に入っておらず、専ら公務員としての在職期間だけが対象になっている。私の場合、卒業が比較的早かったので、そういった意味では割りを食っている面もあり、多少の違和感を抱かないわけでもないし、退官当時から承知していた話ではあるが、「あまり偉くならなかった証し」という気がしないでもない。(以上は、私の古い知識からの推測なのだが、結果を見てもおそらく間違いはないと思う。)
 もっとも、民間企業や団体に勤めていた人は、よほど「偉い人」は別として、そもそも叙勲の対象にならない場合が多いので、私の違和感は、いわば「恵まれた人の中でのわがまま」という面があることは重々承知している積りではあるが、やはりいざ頂くとなれば、そのランクが気にならないでもない。名誉欲であれ金銭欲であれ、その絶対値もさることながら、やはりほかの人との比較が大きなウエイトを占めるのは、浅はかな人間の属性なのかも知れない。


 役所勤めの頃は、いわば勲章を授与する側にいたわけだが、ランクについての不満や注文は随分あった。かなり無理難題に近い注文を受け、お断りするのに苦労した経験もいくつかある。そのときには、そのような注文を浅ましく感じたこともあるのだが、いざ自分が受ける側になってみれば、その不満も判らないではない。
 もう一つ思い出話をすると、叙勲の内示をする際、「くれぐれも交通違反をなさらないように」というお願いをするのが決まり文句だった。正確な記憶ではないが、たしか罰金以上の刑に処せられると、一定期間は叙勲の資格がなくなるため、そのようなことにならないための御注意だったわけだ。今なら、「くれぐれも酒酔い運転をなさらないように」と言うところかも知れない。ついでに言えば、企業が独禁法違反を冒すと、その企業の関係役員は、何年間かは叙勲の資格がなくなる。このため、会長や社長が叙勲年齢に近い企業は、独禁法に関してはお行儀が良くなるという話を聞いたことがあり、「一番金の掛からない行政手法だ」と笑った記憶がある。


 とりとめもないことをいろいろ書いてしまった。実は、内示を受けたときお断りしようかとも思ったのだが、根が好奇心旺盛な方であり、ミーハー的気質も十分に持っている俗物なので、それに何と言っても一生に一度のことなので、ありがたくお受けしようという判断をしたのが正直なところだ。そんなことをブツブツ言っていたら、娘に「可愛くないネ。素直に貰ったら・・・。」とからかわれてしまった。


 実は、勲章自体はまだ頂いていない。4月29日に発令され公表されたのだが、勲章の伝達や宮中参内は、5月9日の予定である。着慣れないモーニングを出してみたり、家内の和服の着付けの段取りをしたり、実質的な仕事(?)はこれからである。そのようなセレモニーを経験すれば、新しい感慨が湧いて来るのかも知れないし、素直に「ありがたみ」を感じることになるのかも知れないとは思いつつも、目下のところは「めでたさも中くらい」という些か屈折した気持も捨て切れないのが正直なところであり、我れと我が身の俗物根性を痛感しているところでもある。
 

 なお、公表前後から、記念パーティーや記念品などのダイレクトメールが多数届いた。中には1冊数千円するのではないかと思われる立派なカタログや資料集もある。あらためて何かをする積りはないので、すべて黙殺しているのだが、こんなことでその企業のコストが賄えるのかどうか、他人ごとながら気にならないでもない。記念品などの電話セールスなども随分あるという話を聞いていたのだが、目下のところセールス電話は掛かって来ない。もし掛かって来たら「宣伝するほどのランクのものでもないので」というセリフでお断りしようかと思っている。