鬱・黴その他

北原白秋顕彰短歌大会という短歌の会が、白秋生地の福岡県柳川市の主催で毎年開かれているのだが、去る平成22年私の作品が入選した。3人の選者がそれぞれ天賞1首、地賞2首、人賞3首、佳作5首を選んでおり、このほかに投稿者の郵便投票による互選で同様の数の入選作が選ばれている。私が入選したのは、伊藤一彦氏選の地賞であり、
ーーー「鬱」の字はまさしく鬱で 「黴」の字はいかにも黴で 長雨続くーーー(平成22年作、「古希前後」平成22年北溟社刊所収)
という作品である。
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以上は、同年11月8日のブログでご紹介した話を簡略化したものなのだが、今日の本題は、実はその数年後の話である。
 昨年6月13日、朝日新聞天声人語を読んでいたら、文中で富安風生さんの
ーーー黴といふ字の鬱々と字画かなーーー
という俳句が紹介されていたので驚いた。私の短歌と「鬱」、「黴」ともに共通であり、作品の趣旨も同じようなものだからだ。もちろん私が盗作したわけではなく、富安さんにそのような句があることは全く知らなかった。選者の伊藤さんもご存じなかったようで、選者の評でも『「鬱」の字を材料にした歌は少なくないが、この作は「黴」と「鬱」の両方である。単調になるのを防ぐため「まさしく」「いかにも」と使いわけ、結句も巧みである。』と述べておられる。なお、この作品は、参加者の互選でも17票を頂戴して佳作に入選したのだが、これに投票された参加者の方々もおそらく富安さんの句はご存じなかったのだろうと思う。
 もし私が富安さんの句を知っていたとしても、ある意味での本歌取りあるいはオマージュと言えなくもないのだろうが、もしそうなら、作品の巧拙は別として、着想の面白さというものは消えてしまうわけだ。先人と全く同じテーマを選んだ偶然さに驚いたことは当然だが、それにしても、偶然というのは恐ろしいものだと思った。
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 話はこれで終わりではない。同じ天声人語の話なのだが、去年12月21日の同欄で、水原春郎さんの
ーーーためらはず十年日記求めけりーーー
との俳句を目にして、これまた驚いた。実は私の作品に
ーーーそれまでは生あることを疑わず十年日記を買う年の暮れーーー(平成18年作、前掲「古希前後」所収)
というものがあるのだが、これとほとんど同じ内容のものだったからだ。作者の年齢などから想像すれば、私の作品よりかなり以前のものだと思われる。これについても、先ほどの「鬱」と同じようなことが言えるだろうし、同じような感想を抱いたところだ。
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 考えてみれば、似たようなことがもっと以前にもあった。平成12年の歌会始の御題は「時」だったのだが、
ーーー遥かなる時空を超えて届きたる星の光のテレビに見入るーーー(平成11年作、後に「春の道」平成15年砂子屋書房刊所収)
という作を投稿した。ところが、その歌会始でご披露された皇太子の作品が、私の記憶によれば、
ーーー遥かなる時空を超えていま届く遠きすばるのあまたの星はーーー
というものだったからだ。たしか平成11年は、ハワイに東大のすばる望遠鏡が出来た年で、すばるからの映像が随分ニュースになった。私の作はそのテレビを見た際の気持を詠んだものであり、皇太子の作もおそらく同じような場面で作られたものだろうと思う。テーマが同じだけでなく、表現も第2句までは全く同じだったのに驚いた。このことについては、同書のあとがきで触れているが、「私から見ればずっとお若い皇太子と同じ視点、同じ感覚の短歌が生れたということは、老兵にとってはちょっとした感慨だった。」
 前の俳句の話と異なるのは、私が投稿したのは11年の秋であり、皇太子の作が公表されたのは12年の1月なので、これにヒントを得て作ったということは絶対にないと確信を持って言えるということだ。
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 以上の3作とも、全くの偶然の一致ということになるわけだが、何か不思議な巡り合わせのような気がしないでもない。もっとも、これまで私が気付かなかっただけで、短詩型である短歌や俳句には、このようなケースはそれほど珍しいものではないという気がしないでもないが・・・。
 「知って作ったわけではない」というある意味では言い訳じみた話ではあるが、私自身面白がっているところでもあり、ちょっとご披露してみる次第だ。